犬の場合、なめる行為には重要な社会的意味があります。
なめることは、犬の社会的順位、意志、気持ちなどについての情報を伝え、あくびと同様、おもに相手の気持ちを鎮める行動なのです。
そうした和解を求める行動のすべてに共通しているのは、子犬がとる行動に似ている点です。
子犬的な行動は、人間で言えば「白旗」を振るようなものです。
おとなは自分と同種の子供を守り育てるものであり、子供への攻撃は避けようとします。
そこで、劣位の犬や弱い犬、怯えた大は、攻撃を避けるために子供のような姿勢や行動をとります。
その行動は相手の気持ちをやわらげ、実際の攻撃はたいてい回避されます。
この和解を求める行動には、なめる行為がふくまれることが多いのです。
こうした行動の本来的な意味を知るために、犬の子供時代について少し考えてみます。
犬は誕生するとすぐに母親になめてもらいます。
子犬が産道から出てくるとなめてきれいにします。
それが子犬の呼吸をうながす働きもします。
数日のあいだ、母犬は子犬の肛門のあたりをなめて刺激し、排尿や排便をうながします。
それは子供にたいする母親の愛情表現とも言えそうです。
母犬は舌を使って子供の体をきれいにしているのであり、キスをしているわけではないのです。
人間の母親も子供を愛しているからこそ、赤ん坊の体を洗い、おむつを替えてきれいにします。
だけど、おむつを替えるのは、キスと同じだとはだれも言わないでしょう。
母犬は舌を使って子犬の尿や便を上手に掃除します。
それはたんに前足が器用ではなく、おむつやお風呂などとても使えないからです。
子犬は成長するに従って、自分やきょうだいの体をなめ始めます。
こうしてお互いになめあう行為には、社会的な意味があります。
この行動で子犬の体が清潔に保たれると同時に、子犬同士のあいだの絆が深まります。
おたがいに満足感が得られるのです。
相手をなめる行動は意思表示
子犬は自分の舌がとどかない耳や背中や顔をなめてもらい、相手にも同じようにお返しをします。
そのように仲間同士できれいにしあう行動には思いやりが働くため、相手をなめる行動は意思を伝える手段にもなります。
なめる行為が実用的で便利な行動から儀式的な行動へと変化し、善意と親しみを意味するようになるのです。
子犬は相手をなめて
「ほら、ぼくは友だちだよ」と言っているわけです。
そしておとなになると、友好のメッセージにほかの意味も加わってきます。
劣位の犬が相手をなめるのは
「わたしに敵意はありません」
あるいは
「どうかわたしを受け入れて、やさしくしてください」
という意思表示なのです。
おとなの犬が顔をなめるのは、優位の犬にたいする敬意や服従を表わす行為
野生の世界では、狩りからもどる母親の狼は、すでに獲物を腹の中に入れています。
母親が巣穴に帰ると、子供たちが寄ってきて母親の顔をなめ始めます。
夢想家なら、何時間かぶりでもどった母親を子供たちが大喜びで迎える、微笑ましい光景と思うかもしれません。
ほっとした子供が、嬉しくて母親にキスをしているのだと。
しかし、子狼が母狼の顔をなめる目的は、もっと現実的なのです。
野生の犬族は食べたものを吐きもどす能力を発達させており、子供に顔や唇をなめられると、母親は反射的に胃にある食物を吐き出します。
獲物を巣穴に運ぶには、引きずってくるよりも、胃の中に収めて運ぶほうがずっと効率がいい。
しかも、なかば消化したものは、幼い子供の食べ物としては理想的なのです。
面白いことに、私たちの身近にいる犬は、狼やジャッカルにくらべて吐きもどしをおこなう力は弱く、子犬からの刺激に反応して食べたものを吐き出すことは、子犬が栄養不足のとき以外めったにないのです。
吐きもどしをするのは、狼などの野生の犬族に外見が近い、顔のとがった犬が多いようです。
おとなの犬が顔をなめるのは、優位の犬にたいする敬意や服従を表わす行為です。
犬は相手をなめるとき、体を低く小さくして相手を見上げるようになり、子供じみた印象がさらに強まります。
顔をなめられる側の犬は、見下ろすようにしてそれを受け入れ、お返しに相手をなめることはありません。
犬があなたの顔をなめようとしたときは、犬が伝えたがっていることを見極める必要があります。
たんに空腹で食べ物をねだっている場合もあります。
顔をなめられても、人は食べたものを吐き出しはしないだろうが、よしよしと言ってオヤツなどをあたえるかもしれません。
なめる行為のメッセージに敵意はない
服従と和睦を伝えている場合もあります。
基本的に犬は
「ほら、わたしは子犬と同じで、あなたのような強いおとなを頼りにしているんです。
あなたが受け入れて助けてくれることが、わたしには必要なんです」と言っているのです。
あなたを群れの優位の犬とみなして敬意を払い、服従を示しているのです。
相手をなめるのはストレスを感じている怯えた犬が多く、この行動はきわめて儀式化されているので、不安をもつ犬は実際になめる相手がいなくても、これをおこなうことがあります。
緊張した人間が唇を噛むように自分の唇をなめたり、舌をつき出して瞬間的に空気をなめるような動作をします。
あるいは床に寝ころがって、神経質に自分の前足や体をなめることもあります。
獣医師の話では、同じ行動が診療室でもよく見られるそうです。
知らない場所、知らない人たち、何か起こるかわからない状況に遭遇して、犬は気をもみ、唇をなめ、空気をなめるのでしょう。
というわけで、なめる行為の意味は複雑なのですが、メッセージに敵意はないということなのです。
「犬も平気でうそをつく?」スタンレー・コレン著より
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