災害時の犬たち

災害時の犬たち エピソード

 

2005年にハリケーンーカトリーナが、アメリカ南東部を襲ったときのことです。

 

救助され、避難した人びとが去ったあとのニューオーリンズを報道するテレビ画面に、人間とはちがう被災者の姿が映しだされました。

 

人家の屋根に取り残され、洪水を見下ろしている犬たち。

 

去っていった飼い主と離ればなれになり、救難ボートまで泥流を必死で泳ごうとしている犬の姿もありました。

 

お腹をすかせバルコニーで不安げにうずくまる犬、窓の外を絶望的な表情で見つめる犬。

 

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そのあわれな光景に多くの人が胸をしめつけられ、問い合わせが相次いだのです。

 

ある記者会見で、「取り残された犬や猫は、どうなるんです?」

という記者の質問を受けた合衆国連邦緊急事態管理局の局長は、大規模災害に対する対応能力の欠如を認める形になりました。

 

彼は開口一番、

「犬や猫は、救出対象になっていません。」こう言ったのです。

 

その後、避難計画の誤りが明らかになりました。

 

動物と暮らす人たちの多くが、その命を救うためなら自分の身の安全もかえりみないほど、ペットを大切に考えていることが実証されたのです。

 

救援対策の推進者たちは、人間を救うだけでは十分ではないことを見逃していました。

 

人間には愛、慰め、家族(や家族同然の存在)、そして自分が必要とされている感覚が必要です。

こうした感情が満たされて、はじめて生きる意欲が湧くのです。

それを満たしてくれるのが、ペットである場合も多いのです。

ペットは家族の一員であり、そう考える人にとって、ペットを見捨てることは子どもを見捨てるにもひとしいのです。

 

カトリーナ来襲のとき、ある州兵は救援部隊指揮官にこう報告しています。

 

「被災地を離れようとしなかった人のうち、三割から四割はペットのことが心配だったからだと考えられます」

 

 

救助活動が開始されたころ、なかには信じられないほど冷酷な担当官もいました。

 

ペットの救出はまったく計画外だったため、飼い主は動物を見捨てるよう容赦なく命令されました。

 

ニューオーリンズのスーパードームに避難していた何千もの人たちに混じっていた幼い少年の、悲痛な話も伝わっています。

 

少年が小さな白い犬を抱いてヒューストン行きのバスに乗ろうとしたとき、警察官がその犬を少年から奪い取りました。

 

小さな犬だから、人間一人分のスペースを占領するわけでもなかったろうに。

 

犬が連れ去られるあいだ、少年は犬の名前を叫んで泣きじゃくり、ついにはその場に膝を折って吐いてしまいました。

 

見かねた一人の女性が、なけなしの結婚指輪を指から抜き取って警察官に差し出したが、受けつけてもらえませんでした。

 

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また、ある担当官は飼い主と話し合うこともせずに、ペットを撃ち殺したといいます。

 

さいわい救助隊の中には、犬を捨てていくべきよけいな荷物などとは考えない人たちもいます。

 

彼らは犬が飼い主の気持ちを慰める大切な存在であり、生存者が以前の暮らしを取り戻すための、唯一の心のよりどころかもしれないことを理解しています。

 

救難活動のさなかに、一人の老婆がヘリコプターでニューオーリンズを脱出しようとしていたときのこと。

 

彼女は小さなヨークシャー・テリアを胸に抱いていました。

ドアのところで、担当官が犬を取り上げて言いました。

「申し訳ありませんが、動物は禁止と決まっています」

 

老婆の疲れきった目に、たちまち涙があふれました。

「私には、頼れる人も財産もありません。この子しか残っていないんです!」

 

担当官は犬を抱えたまま、くり返しました。

「動物は禁止です」

 

そのとき、司令官の徽章と医療班のバッジを着けた軍人がヘリの申から顔をだしました。

彼は手をのばすと、担当官から小さな犬を抱きとりました。

 

彼は言いました。

「これは犬ではない」

「薬だ」

 

「薬、ですか?」

とまどい顔の担当官が訊ねました。

 

「心の薬だよ」

司令官は言い、犬を老婆に返すと彼女の手をとってヘリに乗せたのです。

 

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『犬があなたをこう変える』S・コレン著より

 

 

日本という国では5年前に起きた大震災で被災され仮設住宅で暮らす人々が、なぜか未だに8万人も存在します。

 

避難の際に止む無く置き去りとなった犬や猫もたくさん居ました。

 

人間ですらこんな状況ですので、犬や猫などのペットは考えるまでもないでしょう。

 

仮設住宅や避難所でペットと暮らすことが許された区域もあったようですが、市町村が用意した新たな住居はペット不可というところも多いそうです。

 

何もかも失った人にとってのペットの大切さを理解してほしいと思います。

 

この記事のように米国であった悲惨な話や救助美談は、この国にはたくさんあったはずだと思います。

 

しかし、震災のその後の本当の状況は見えず聞こえずです。

 

毎日、復興状況を報道してもよいくらいなのに、まるで無かったことのように話題にもなりません。

 

この国では数年後に巨額の費用を使ってオリンピックを開催しようとしています。

 

オリンピックを開催する前にやるべきことがあるのではないでしょうか?

 

被災された方々や放置された犬や猫のために何もしてあげられないお詫びにこの記事を書きました。

 

個人の力では大したことはできませんが、報道されないことはネット上で消えないように、話題にできないまでも残しておくべきと思った次第です。

 

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