最後まで家族が大好きだった愛犬。今でもフワフワ側を飛んでいる?

エピソード

先日14歳を目の前にして亡くなったティアラ(フラットコーテッドレトリーバー)の話です。

2月に足が浮腫で腫れ、3月末にリンパ節にも腫れが見つかり、悪性リンパ腫だったことがわかりました。

すでに末期で余命2ヶ月の宣告でした。

【最後に来た原っぱ。】

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どんどん弱ってゴハンも食べなくなり最後の2週間は自力で立ち上がれなくなりました。

憎っくき癌。

日に日にやせ細って肋骨が浮き出てきました。

ほとんど寝たきりで立ち上がれないのですが、用事があるときは上半身を起こしてハァーハァーと荒い息をして私を見ます。

オシッコやウンチとかは抱っこして庭に出してあげると自分で用を足します。

それ以外なら起こした上半身をそのままバタッ!と倒して撫でてーと要求します。

一日何回、撫でてあげたかわかりません。

ティアラはいつも私や家族にペタペタくっついて甘えて居るような犬でした。

ティアラが6歳のころに同じフラットのココが保護されて家族に加わわりました。

甘え上手なココに負けたのか、可哀想な境遇だったココに気兼ねしたのか、ティアラは甘えなくなりました。

それが自分の残された時間がわかっていたのか、今までになく甘えて甘えて、撫でられると本当に嬉しそうにしていました。

私達家族ももう長くは一緒に居られないだろうと思っていましたので、24時間ティアラ中心の生活をしていました。

【最後に食べたのはシュークリーム】

ティアラが、もう何も食べなくなるほど弱った時に地方に務める娘が帰ってきました。

あまりにやせ細ったティアラの姿を見て泣いていました。

娘は小学生のころから冬は雪だらけになって一緒に遊び姉妹のように育ってきました。

ティアラは地方の職場へ帰る娘の車を最後まで見送りたそうにしていました。

でも、やっと泣き止んで運転しようとしているところにティアラを連れて行くと涙が溢れて運転できないというので家の中で最後のお別れをしました。

後で、泣いてもいいから撫でておけば良かったと娘は言ってました。

大好きだった娘が帰ってからティアラは写真に撮っておけないほど一気に目がくぼんで顔まで痩せました。

きっと無残な姿を見せると娘が悲しむであろうことをわかっていて頑張っていたのでしょう。

娘が帰った2日後、出張に行っていた長男が帰ってきました。

長男はおよそ動物を可愛がるということをしない人間でした。

自宅から仕事に行くようになってから帰りはいつも深夜。当然寝静まっています。

だけどティアラだけは起きてきてシッポフリフリの大歓迎。どんなに夜中でも大歓迎。

こんなことを毎日されればダレでも可愛いと思うもので長男はティアラのおかげで犬好きになりました。

長男はタップリ撫でてから出勤して行きました。

その日の朝フラットのココが体調を崩したので私は病院に連れて行きました。

病院から正午に自宅に戻りました。

私の帰りを待っていたかのように、その30分後ティアラの様子がおかしくなりました。

抱きかかえていると、大きく2度身体を伸ばしてから力が抜けました。

呼吸は止まっています。

揺すっても呼んでも呼吸は止まったまま。

心臓も5分位で止まってしまいました。

家内と二人でまだ暖かい身体を撫で続けていました。

ティアラは静かに静かに逝ってしまいました。

ティアラが寝たきりになっていつも寄りかかっていたのはテレビの下のDVDレコーダーでした。

上半身だけ起き上がってはドタッ!と寝る度にレコーダーのDVDトレイのスイッチが入りスーッとトレイが出てきていました。

その場所にテレビとDVDレコーダーがあると寝たきりのティアラを思い出して悲しいので食卓近くに移動させました。

つい先日のことです。

ティアラはとても人なつこくて楽しく元気な子だったので、家内とそんな思い出話をしていました。

すると電源の入っていないDVDレコーダーのトレイがスーッと出てきたのです。

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私たちはべつに驚きもせず、ティアラの仕業だと確信しました。

ティアラは自分が話題になっているのを聞いていて『そうだったわよねー♪』と相槌を打ったように思えたのです。

家内と娘の会話の真ん中にはいつもティアラが居て二人の笑い声を聞きながら楽しそうに女子会をやっていたことを思い出します。

ティアラは、今でも大好きだった家内や私達家族の周りをふわふわと飛んでいるのかもしれません。

花見に行けなかったので載せてあげました。

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